Nikon D100 レポート その5

D100望遠鏡化計画?
(ケンコーの3倍テレコンバータを装着)


(撮影はOptio430他)


私はどうもカメラを望遠鏡にするのが好きらしく、過去にもE950、PSP90IS等もともと望遠ズームつきの
デジカメにテレコンレンズを装着しては、使い勝手を悪くするというアホなことを繰り返してきました。
一眼レフデジカメのD100でもその傾向はとどまるどころか加速しており、既にAF80−400VRでいいかげん
望遠鏡状態のD100なのですが、一度凝りだすと止まらなくなるのが館長の悪しき習性です。
とはいえ、Nikonの純正800mmレンズなんぞ買った日にはD100本体が5台以上買えてしまうという
意味不明な価格設定なので、さすがに手が出ません。
そこで、貧乏な望遠マニアの救世主、テレコンバータの登場です。

カメラ名人に聞くとテレコンなんぞ邪道らしいのですが、そこはコンパクトデジカメ時代からコンバージョンレンズ
は使いまくりの私、何の抵抗も無くケンコーの3倍テレコン「3× TELEPLUS PRO 300」を購入して
しまいました。
早速D100に装着して試してみましたのでレポートします。


<装着してみました>
(付属の巾着袋)
まず、のっけから文句言いたいのですが、なんでこのテレコン、こんな色なんでしょうか?
黒で固めたD100&レンズの間にコヤツが挟まると、なにやら怪我して包帯巻いたみたいな違和感
ありありです。
もっと低倍率のテレコンは普通に黒い色なので、こっちも黒にして欲しかったなあという感想です。
まあ高倍率レンズには白筐体も多いので、そっちに合わせたのかも知れませんが。
付属の巾着袋はレンズ拭きにもなってなかなか便利です。
(24−85AF−Sに装着)
(80−400VRに装着)
80−400VRはそうでなくても長いのに、テレコンかませるとなにかの建造物のようにみえてきます。
手持ち撮影は継ぎ目からパキッと折れてしまいそうでなかなか不安です。

開放F値2.8までのAFレンズでオートフォーカスが作動するということですが、残念ながらうちには
そんな明るいレンズはないので自動的にマニュアルフォーカスでの使用に決定です。
が、試しにAF効かせてみると、なんとSIGMAの28−300AFのみ28mm側(F3.5)でAFが作動して
ちゃんと合焦しました。
Nikonの24−85AF−Sは24mm側だとAFしようとモーターは動くのですが、まるでピントが定まらず
AFとしては使い物になりません。
してみると、同じF3.5〜レンズということになっていますが、SIGMA28−300の方が実は明るいのかも
しれません。
ちなみに80−400VRでは80mm側でもAFモーターの動く気配すらありません。


<写してみました>
さて、マニュアルフォーカスとはいえ、80−400VRに3倍テレコンを装着すると論理上240−1200mm
(D100換算最大光学41倍)という、望遠鏡の名に恥じないお化けズームになるわけですが...
(いつもの水タンク、80−400VR+3倍テレコン:400mm側)
(実寸トリミング)
いや、流石ですね。
いつもの水タンクのディテールがこんなふうにになっていたとは私も始めて知りました。
ちなみに、サンプル写真は日差しの強い昼間に撮りましたが、ここまでレンズが暗くなると手ブレが酷くて
本当なら三脚据えないと撮れないところです。
80−400VRの手ぶれ補正をもってしても、実は微妙にブレています。

とはいえ、これならかなり遠くのものもぐぐっと引き寄せることができそうです。
うちから5kmほど離れたところに位置する某シャイン60ビルを撮影してみました。
(某シャインビル、80−400VR+3倍テレコン:400mm側)
(部分拡大、ビルの外壁がユラユラ...)
(実寸トリミング)
すげえ、けどなんじゃこりゃ?!
被写体が波打っています。もちろん手ブレではなくて陽炎です。
真昼間でとても明るいのは遠距離撮影には向いているシチュエーションだと思ったのですが、いかんせん
炎天下のせいで陽炎が発生しているとは思いませんでした。
こればっかりは三脚据えようが手ぶれ補正機能があろうがどうしようもありません。
なるほど、熱気は遠距離スナイプの敵だとはゴルゴ13にもそんなエピソードがあったのを思い出しました。
もちっと涼しくなってから再挑戦です。

ちなみに改めていつもの水タンクと某シャインビルが肉眼でどう見えるかを示しておきます。
比べていただくと望遠鏡ぶりが際立つと思います。
(窓から)
(喰らえ大砲)

それにしても某シャインビルには餃子に続き遠距離撮影でもNGを喰らってしまいましたが、やはりあそこには
写真を撮られたくない何かが潜んでいるのかもしれません。
横浜中華街に続き、潜入調査の必要を感じる私でした。


2002年8月



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